ペルシャ秘宝(アナビアン・コレクション)をシルクロードの終着奈良に展示し、第二の正倉院に!

多くのオリエント学者と考古学者と交流を深めたラヒム・アナビアンは、昭和の時代に日本各地でペルシャの出土品を納め、広め、奈良時代以来のペルシャブームを作った。

日本に渡ってきたアナビアン・コレクションは、紀元前5000年の素焼きの陶器から17世紀までの各時代の陶器・ガラス器が揃え、葡萄酒を入れた動物型陶器、織部焼の源流となった緑釉陶器、幻のペルシャブルー、金色の釉で天目茶碗に影響を与えたラスター彩等、正倉院級のものを含む歴史的秘宝を奈良発展の起爆剤に!

シルクロードの終着地奈良に当時伝わった御物と同様に、アナビアン・コレクションのペルシャ陶器、ガラス器、錦など、2000点を一堂に展示する「NARA PERSIA MUSEUM」(第二の正倉院)を平城宮跡の側に建て、いつでも鑑賞出来ると、奈良はシルクロード最終地として蘇る。  

やっぱり奈良には、ペルシャが似合う

シルクロードを通じて日本にペルシャの葡萄酒を飲む切子ガラス器・奈良三彩・錦が齎された。終点の奈良平城宮跡からはペルシャブルー陶器が発掘されている。出土した木簡にはペルシャの役人の名前が記され、ペルシャ文化伝道士が来日していたことが分かる

平城京の近くで出土された8世紀の木簡にペルシャ人顔が描かれていたことが、テレビやニュースで大きな話題になった。正に仮面劇の伎楽に使われていたペルシャのお面によく似ていると平成28(2016年)年10月13日の読売新聞に書かれている。鼻が高く坊主頭が特徴。奈良時代の役人の似顔絵。木簡に字の練習をしていたときにこんな絵を描いたんですね。そのモデルは、ペルシャ人を意味する「破斯清道」という方らしい。

その「破斯」という人物は、2016年10月5日の読売新聞で大きなニュースになった。似顔絵の木簡が発見された場所は、平城京跡から70メートル離れた場所。1966年に発見されたが何が書いてあるか肉眼で見えなかった。半世紀も経って赤外線撮影をした結果、ペルシャ人の名前を記した出土遺物が初めて確認された。(ほんまに奈良時代が超コスモポリタンやったことの断固たる裏付けやと実感!)しかも、ペルシャ人「破斯」は政治的に高い位を持つ役人だった。

続日本紀に遣唐使が「唐の人3人、破斯一人」を日本に連れ帰り、聖武天皇と謁見したと記され、その後、ペルシャ人と李密翳に位を授けたと新聞に書かれている。

イスラム帝国の勢力から逃れて中国へ、ペルシャ貴族、織姫、陶芸家、軍が大移動し、長安と周辺のペルシャ街に他のシルクロード商人と共に住み着いた。唐時代の中国に多くのペルシャの秘宝のみならず、技術も持ち込み、中国皇帝に高い地位を与えられたことが、中国の古い文献に残っている。のちに奈良の官吏にもなる。ササン朝ペルシャの最後の王ヤズゲルドⅢの孫、ナルシエが中国語で残した文章によるものである。

奈良の貴族は、ペルシャ柄の絨毯の上に座り、青いワイングラスを持ち、「」というチーズをいただき、公文書を書くときは椅子とテーブルを使う生活様式だった。

日本の考古学者が1950年代イランを訪れ始めたころ、出土品で銀化した正倉院と同じ碗と出会い、ペルシャ美術が歴史学者や研究家たちの関心の的になった。正倉院三彩、ペルシャ三彩、唐三彩、宋三彩などの焼き物はすべて一つの糸で繋がった姉妹関係にある。それらが中央アジアを越すシルクロードによってお互いに影響し合ったと考えると、歴史の大ロマンに引き込まれる。

今やイランで発掘と収集が不可能で、市場にも出回ることのない「アナビアン・コレクション」のペルシャ出土品を一般に公開できるように、奈良市や文化庁の協力を得て、古の華やかさを未来の奈良として、歴史に残る第二の正倉院の実現へ。