「ペルシャ錦館」で飾られているアナビアン・コレクションは、人類が織りなせる最も精巧な織物の蒐集です。17~18世紀のペルシャ・カシミア・ショールは王侯貴族たちの衣料や室内調度に用いられ、アジア博物館内で大切に保存されている。永続的に保管・展示するために日本古来の土蔵造りの蔵が博物館として建設され、そこで一般公開されるようになった。
ペルシャの逸品と言われながらも消滅寸前、ペルシャ錦の蒐集と保存に一生をかけたラヒム・アナビアンはイラン中から収集し、また一般人が持ち込んできた錦を惜しみなく買い集めた。
研究の傍らイラン中に散逸していた錦を集めはじめ、テヘランで展示会を開き、ペルシャ錦の価値を取り戻す先駆者としてブームを起こした。以後、ペルシャ美術研究家や歴史学者の関心の的になった。
ラヒム・アナビアンは、歴史遺産物の熱心な研究者として優れた審美眼を持っていた。
その伝統的な技法を分析するために19世紀最後の染織人に弟子入りし、普遍的価値を再認識して日々染色実験室に通いながら多くの染色標本を作り、のちに出版した※「ペルシャ錦」の本の土台となった。
この驚くべきペルシャ最高峰の織物は17世紀の初め、英主シャー・アッバースⅠ世が文化芸術を奨励し、サファビー時代に大きな発展を遂げた。20世紀初頭に技術がすっかり廃れ、錦に織られてきたヒマラヤ山羊までも絶滅してしまった。貴重な織物が次第に傷み散逸したのを惜み、その美しさの虜になったのが17歳のラヒム・アナビアン。20世紀の初頭に、製法伝授が消えてしまったペルシャ錦やカシミール毛織物の収集を手がけ、保存に努めた。60年近くの収集の努力の結果は世界随一。
ペルシャ錦の収集絣織の起源と言われている中央アジアの織物、イカットも含まれている。
当時、王室の美術顧問を務めていたラヒム・アナビアンは、イランの遺跡の調査に来ていた日本の考古学者の方達と交流を深めた。
19世紀最後の染織人に弟子入りし、伝統的な技法を分析、普遍的価値を再認識して日々染色実験室に寵って多くの染色標本を作った。野生の植物、昆虫、果物から得る絶妙な染料は万華鏡のように煌びやかであり、見る人の感性を掻き立てた。視力の良い乙女たちにとっては、優雅な織物の技術を学ぶことが最上の教育であり、競い合って緻密な紋様の錦を織り上げました。3人のエキスパートの少女が1枚の錦を織るために力を合わせて4~5年かけ、芸術にかけた忍耐と時間は、月を仰ぎ見る悠久の流れである。
小説を執筆していた机の下のペルシャ絨毯は、テヘランのアナビアン家に敷かれていたもの。井上氏が気に入ったが、ラヒム・アナビアンは「うちのものだからこれは譲れない」と断った。しかし、井上靖氏が日本へ戻った時には、その絨毯が先に到着していた。その経緯は「絨毯とタピスリー」(読売新聞社発行)の雑誌に執筆掲載されている。
1979年、イランのイスラム革命前夜まで世界一のペルシャ錦の蒐集を作り上げていた。ペルシャ錦が消滅する運命にあった時、彼はパーレビー時代の女王とペルシャ織物保存館の設立に着手していたが志半ばで政変に遭った。ペルシャブームが突然中断され、ラヒム・アナビアンとその息子ジョージ・アナビアンは困難を顧みず、数千の文化遺産をアメリカ・スイス・ロンドン・日本に避難させた。イラン最後の王国、パーレビー時代の女王とラヒム・アナビアンがペルシャ織物保存館の設立に着手する企画も日の目を見ることがなかった。半世紀以上かけて蒐集した二度と手に入らない錦を1年かけて無事にイラン国外に送り出されたことを見届け、ラヒム・アナビアン家は一人残らずアメリカへ移住した。日本のオリエント学者と結ばれた縁を辿り、そのうちの2000点は鳥取のアジア博物館を終焉の地として安住させた。息子のジョージは、ニューヨークで古美術商を経営しながらニューヨーク大学でペルシャ美術史の教鞭を執り、ペルシャ錦蒐集の目録と「ペルシャ錦」の共同著者として、ラヒム・アナビアンの足跡をたどる。
野生の植物、昆虫、果物から得る絶妙な染料は万華鏡のように煌びやかであり、見る人の感性を掻き立てた。精密な詩集を施すために視力の良い乙女たちにとっては、優雅な織物の技術を学ぶことが最上の教育であり、競い合って緻密な紋様の錦を織り上げた。3人のエキスパートの少女が1枚の錦を織るために力を合わせて4〜5年かかった。芸術にかけた忍耐と時間は、月を仰ぎ見る悠久の流れのようだった。
研究の傍らイラン中に散逸していた錦を集めはじめ、テヘランで展示会を開き、消滅する運命にあったペルシャ錦の価値を取り戻す先駆者としてブームを起こした。以後、錦はペルシャ美術研究家や歴史学者の関心の的になった。当時、王室の美術顧問を務めていたラヒム・アナビアンは、イランの遺跡の調査に来ていた日本の考古学者と友情を深め、イランの首都、テヘランの目抜き通りにあったラヒム・アナビアンの古美術商は、学者、研究者、画家たちが集ってチャイを頂きながら古美術談をする溜り場になった。
97歳の最後の日まで情熱を傾け、ペルシャ錦の真価を世界規模で紹介し、ペルシャの文化遺産を後世に贈ったラヒム・アナビアンの志は孫の代に渡り、シルクロード織物の保存と研究は一世紀を迎える。
アジア博物館のペルシャ錦館で見る錦に、褪せない色の美しさ、19世紀ヨーロッパで流行したファッションの根源、正倉院に伝わった模様の原点、ペルシャの魔法の杖の一振りに惑わされることでしょう。
所 ☎ 営業時間 | 鳥取県米子市大篠津町57番地 (0859)25‐1251 9:00-17:00(受付終了16:30) |
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定休日 | 月(祝の場合は翌日) |
入館料 | [大人]500円 [高大学生]300円 [小中学生]200円 |
駐車場 | あり(100台) |
その他 | 喫煙 その他(売店、受付前) 車椅子の入場 可 乳幼児の入場 可 雨でも楽しめる |