出版記念会

「ペルシャ錦」出版記念パーティー三笠宮殿下のご来臨を仰ぎ 1976年 

左から2番目:三笠宮殿下、その右側:著者、ラヒム・アナビアン 右端:ラヒム・アナビアンの娘、プーリー・アナビアン 左端:娘婿、ニッサン・アナビアン。前の少女:孫娘ダリア・アナビアン。

世界で作られた最も精巧な織物の一つであるペルシャ錦に関して、ほぼ全容が網羅できる書籍「ペルシャ錦」が初めて出版され、美術研究家や歴史学者の関心を集めた。著者ラヒム・アナビアンの出版記念パーティーにオリエント学博士でおられる三笠宮殿下のご来臨を仰ぎ、アナビアン・ファミリーと親しく歓談した。 

三笠宮殿下に「ペルシャ錦」を献上 1976年

三笠宮殿下とラヒム・アナビアンの握手で日本とペルシャの赤いリボンが再び結ばれた。

オリエント学者でおられる三笠宮殿下が「ペルシャ錦」の書籍を受納なされた。

17世紀~19世紀のペルシャ錦は、もっぱら王侯貴族たちの衣料や室内調度に用いられ、国外にも輸出されていた。しかし、最高級毛織物は、20世紀の前半に技術が完全に消滅してしまった。ペルシャ錦が次第に傷み、散逸してしまう状況をラヒム・アナビアン氏は若いときから惜しみ、60年の収集の努力の結果が書籍に凝縮された。

テヘラン国立考古学博物館の館長をお招きして 1976年

不思議なことにペルシャ古美術のなかでもっとも洗練されたペルシャ錦は未解明の状態であった。ペルシャ錦の価値を取り戻す先駆者としてブームを作ったラヒム・アナビアンは、一般人が持ち込んできたペルシャ錦を金に糸目をつけず、買い集めた。東京で行われた「ペルシャ錦」出版記念パーティーにイラン国立考古学博物館の館長(右端)も出席された。

アナビアンファミリー来日直後

東京にて「ペルシャ錦」 (1976年)出版記念会 テヘラン国立考古学博物館の館長(写真右)をお招きして 

かつて、地中海から北インドまで広がった「ペルシャ」と知られた大きな帝国がありました。現代のイランのことです。イランは7000年の歴史を誇り、その長い歴史が他の民族の文化に与えた影響の大きさは計り知れません。

オリエント学者 三笠宮殿下(写真中央)とラヒム アナビアン(写真左)ニッサン アナビアン(写真右)

ペルシャ文化は、シルクロードを通じ中国へ伝わり、日本へと渡来し続けました。日本とペルシャの関わりも非常に重要なものがあり、奈良正倉院の御物のなかにシルクロードを仲立ちとしたペルシャと日本の交流の歴史は感動に値します。

オリエント学者 三笠宮殿下(写真中央)とラヒム アナビアン(写真左)ニッサン アナビアン(写真右) 

 三笠宮殿下はオリエントの学者としても広く活躍されてきました。ラヒム・アナビアンは、イラン在住の頃(1970年以前)イラン第一の美術コレクターと美術商として、ペルシャ美術の豊かな知識と眼力により、パーレビー国王の美術顧問を務めていた。二人の握手で20世紀の新たなシルクロードの絆が結ばれた。

古代オリエント博物館理事・出版記念会のプロドゥーサー石黒孝次郎氏の祝辞

 日本の考古学者が1950年代イランを訪れ始めたころ、出土品で銀化した正倉院と同じ碗と出会い、ペルシャ美術が歴史学者や研究家たちの関心の的になりました。

オリエント考古学者 江上波夫氏による来賓の祝辞

有名な作家、井上靖、考古学者 江上波夫を初めとする日本の文化人の多くは、イラン訪問に際しては、ほとんどがラヒム・アナビアンに会い、多くの知識を得た。同時にラヒム・アナビアンのコレクションから多くのものを買いもとめている。

奈良国立文化財研究所考古学者  杉山二郎氏ご挨拶をするラヒム・アナビアンの孫ダリア ・アナビアン

ラヒム・アナビアンのコレクションは、日本各地の美術館や博物館が購入し、その収蔵展示品となっている。東京国立博物館、古代オリエント博物館、岡山市立美術館などがその例である。

アジア博物館内ペルシャ錦館でアナビアン コレクションが永久展示

ペルシャ錦館の前にて蒐集品の所有者プーリー・アナビアンと弟のジョージ・アナビアン(ニューヨーク大学のペルシャ美術の教授)

「ペルシャ錦館」で飾られているアナビアン・コレクションは、人類が織りなせる最も精巧な織物の蒐集です。17~18世紀のペルシャ・カシミア・ショールは王侯貴族たちの衣料や室内調度に用いられ、アジア博物館内で大切に保存されています。

玄関にはラヒム・アナビアンが紹介されている

この驚くべきペルシャ最高峰の織物は20世紀初頭に技術がすっかり廃れ、錦に織られてきたヒマラヤ山羊までも絶滅してしまいました。貴重な織物が次第に傷み散逸したのを惜み、その美しさの虜になったのが17歳のラヒム・アナビアン。20世紀の初頭に、製法伝授が消えてしまったペルシャ錦やカシミール毛織物の収集を手がけ、60年近くの収集の努力の結果は、世界随一です。

シルクロードの作家井上靖の書庫が再現され、テヘランでアナビアン家のリビングルームに敷かれていたペルシャ絨毯で飾られている

19世紀最後の染織人に弟子入りし、伝統的な技法を分析、普遍的価値を再認識して日々染色実験室に寵って多くの染色標本を作りました。野生の植物、昆虫、果物から得る絶妙な染料は万華鏡のように煌びやかであり、見る人の感性を掻き立てた。視力の良い乙女たちにとっては、優雅な織物の技術を学ぶことが最上の教育であり、競い合って緻密な紋様の錦を織り上げました。3人のエキスパートの少女が1枚の錦を織るために力を合わせて4~5年かけ、芸術にかけた忍耐と時間は、月を仰ぎ見る悠久の流れです。

アジア博物館のペルシャ錦館に展示されている2000点の収集品の目録をジョージ・アナビアンが編纂

研究の傍らイラン中に散逸していた錦を集めはじめ、テヘランで展示会を開き、ペルシャ錦の価値を取り戻す先駆者としてブームを起こした。以後、ペルシャ美術研究家や歴史学者の関心の的になりました。当時、王室の美術顧問を務めていたラヒム・アナビアンは、イランの遺跡の調査に来ていた日本の考古学者の方達と交流を深め、嘗てシルクロードで結ばれていた「発祥の地」ペルシャ、「終焉の地」日本との文化交流の絆を結び直しました。ペルシャ錦が消滅する運命にあった時、彼はパーレビー時代の女王とペルシャ織物保存館の設立に着手していたが志半ばで政変に遭い、錦のコレクションをニューヨークへ避難させました。イランのイスラム革命前夜まで世界一のペルシャ錦の蒐集を作り上げていました。日本のオリエント学者と結ばれた縁を辿り、そのうちの2000点は、鳥取のアジア博物館を終焉の地として安住させました。97歳の最後の日まで情熱を傾け、ペルシャ錦の真価を世界規模で紹介し、ペルシャの文化遺産を後世に贈りました。褪せない色の美しさ、ファッションの根源、ペルシャの魔法の杖の一振りに惑わされてはいかがでしょう。米子のゆったりした時の流れのなか、ペルシャの煌めきに目を奪われてみませんか。