日本各地の美術館に納入されたペルシャ古美術「アナビアン・コレクション」のなかでも、もっとも重要で学術的研究の対象として注目されたのがペルシャ錦。この驚くべき織物の技術は、17世紀の初め、英主シャー・アッバースⅠ世が文化芸術を奨励し、サファビー時代に大きな発展を遂げた。その美しさの虜になったのがラヒム・アナビアン。17歳の若いときからさまざまな困難を乗り越え、ペルシャ錦の収集、保存に努めた。絣織の起源と言われている中央アジアの織物、イカットも含まれている。

アジア博物館「ペルシャ錦館」にてアナビアン・コレクションを一般公開 1993年  ミュージアムの玄関前に立つラヒム・アナビアンの娘プーリー・アナビアンと息子ジョージ・アナビアン

「ペルシャ錦館」で飾られているアナビアン・コレクションは、人類が織りなせる最も精巧な織物の蒐集である。17〜18世紀のペルシャ・カシミア・ショールは王侯貴族たちの衣料や室内調度に用いられ、アジア博物館内で大切に保存されている。この驚くべきペルシャ最高峰の織物は20世紀初頭に製法が途絶え、錦に用いられていたヒマラヤ山羊までも根絶してしまった。貴重な織物が次第に傷み散逸していくことを惜しみ、その美しさの虜になったのが17歳のラヒム・アナビアンだった。

ペルシャ錦館に入ると収集家ラヒム・アナビアンの紹介

ペルシャの逸品と言われながらも消滅寸前、ペルシャ錦の蒐集と保存に一生をかけたラヒム・アナビアンはイラン中から収集し、また一般人が持ち込んできた錦を惜しみなく買い集めた。

ラヒム・アナビアンは、歴史遺産物の熱心な研究者として優れた審美眼を持っていた。

その伝統的な技法を分析するために19世紀最後の染織人に弟子入りし、普遍的価値を再認識して日々染色実験室に通いながら多くの染色標本を作り、のちに出版した※「ペルシャ錦」の本の土台となった。

ミュージアム内の写真 福田ひろみ撮影

野生の植物、昆虫、果物から得る絶妙な染料は万華鏡のように煌びやかであり、見る人の感性を掻き立てた。精密な詩集を施すために視力の良い乙女たちにとっては、優雅な織物の技術を学ぶことが最上の教育であり、競い合って緻密な紋様の錦を織り上げた。3人のエキスパートの少女が1枚の錦を織るために力を合わせて4〜5年かかった。芸術にかけた忍耐と時間は、月を仰ぎ見る悠久の流れのようだった。
研究の傍らイラン中に散逸していた錦を集めはじめ、テヘランで展示会を開き、消滅する運命にあったペルシャ錦の価値を取り戻す先駆者としてブームを起こした。以後、錦はペルシャ美術研究家や歴史学者の関心の的になった。当時、王室の美術顧問を務めていたラヒム・アナビアンは、イランの遺跡の調査に来ていた日本の考古学者と友情を深め、イランの首都、テヘランの目抜き通りにあったラヒム・アナビアンの古美術商は、学者、研究者、画家たちが集ってチャイを頂きながら古美術談をする溜り場になった。

貴族が着用していたペルシャ刺繍の外套

イランのイスラム革命前夜まで世界一のペルシャ錦の蒐集を作り上げていた。ペルシャ錦が消滅する運命にあった時、彼はパーレビー時代の女王とペルシャ織物保存館の設立に着手していたが志半ばで政変に遭い、錦のコレクションをニューヨークへ避難させた。

日本のオリエント学者と結ばれた縁を辿り、そのうちの2000点は鳥取のアジア博物館を終焉の地として安住させた。97歳の最後の日まで情熱を傾け、ペルシャ錦の真価を世界規模で紹介し、ペルシャの文化遺産を後世に贈ったラヒム・アナビアンの志は孫の代に渡り、シルクロード織物の保存と研究は一世紀を迎える。

アジア博物館のペルシャ錦館で見る錦に、褪せない色の美しさ、19世紀ヨーロッパで流行したファッションの根源、正倉院に伝わった模様の原点、ペルシャの魔法の杖の一振りに惑わされることでしょう。

アジア博物館・井上靖記念館・ペルシャ錦館  

住所

営業時間
  鳥取県米子市大篠津町57番地
  (0859)25‐1251
  9:00-17:00(受付終了16:30)
定休日  月(祝の場合は翌日)
入館料  [大人]500円
  [高大学生]300円
  [小中学生]200円
駐車場  あり(100台)
その他  喫煙 その他(売店、受付前)
  車椅子の入場 可
  乳幼児の入場 可
  雨でも楽しめる