イラン人の母とイスラエル人の父の下、テヘランに生まれ, 1972古美術商の両親と来日する。神戸の国際学校カナディアン・アカデミー、ニューヨークのファッション専門学校フレンチ・アカデミーを卒業。1988年に帰国後、NHKテレビ番組「シルクロードロマンの旅」のレポーター、ABCラジオ「旅のハーモニー」のレポーターなどを務める。
1997年以降は、主に警察署、検察庁、裁判所、入国管理局にてペルシャ語通訳、またクルドやアフガン難民の支援活動を行う。
江上波夫、井上靖らとも親交のあった祖父ラヒム・アナビアンがイラン・イスラム革命までに収集したペルシャの歴史遺産などを日本各地で展覧会を開き、また講演活動や料理教室を通して多方面でペルシャ文化を流暢な関西弁で紹介する。イランの現状について、アメリカやイスラエルでも講演活動を行う。
その他、2003年「NHKウィークリー・ステラ」にエッセイ連載。2007年、ホテル日航茨木・大阪にて共同開発のペルシャの伝統菓子「ダリア・オリジナル・デザート」を販売。
英語、ペルシャ語、ヘブライ語、関西弁の4ヶ国語を駆使する。
2013年「千夜一夜のおもてなし~ダリアのペルシャ料理①」(発行:アートダイジェスト)を出版。
「千夜一夜のおもてなし ~ ダリアのペルシャ料理」 発行 2013年
見て美しい、読んで楽しい、作って美味しい、そしてヘルシー
美しい
サフランの黄色やハーブの緑など、素材の色を活かした料理と、芸術的な テーブルセッティングで目を楽しませる。
楽しい
ペルシャの歴史、詩、習慣や料理に関するお話は、読み物としても面白い。写真は色とりどりな材料を使って思い思いに盛り付けを楽しめるように、 作る人のイマジネーションを刺激する。
美味しい
りんごのシチューやほうれん草とヨーグルト和えなど、思いもかけない材料の合体に驚愕。優しいスパイスとハーブのシンフォニーが全体をまろやかにし、微妙な味わいを作り出す。
ヘルシー
ペルシャ食文化には、何千年来伝わっている治癒力の知恵があり、何種類もの素材をバランスよく組み合わせる。驚くほど低カロリーなのにパワーが出てくる!
ペルシャ文化を伝え続けて
私の祖父、ラヒム・アナビアンはイランの首都テヘランの目抜き通りで古美術店を営んでいた。その店を日本のオリエント考古学者達がサロンにして、紀元前の素焼きの動物型盃や正倉院の御物と同じ白瑠璃碗が売られていた。
イラン北部ギラーン州で出土する、ワインを注ぐとルビー色に輝くブリリアントカットの切子ガラスは店の目玉商品だった。このワインガラスは正倉院と中国の文献でしか知られていなく、もっと西から来たのではないかと日本の学者は推測していた。日本の調査隊が正倉院と同様の宝物をイランで次々発掘し、ペルシャ由来と判明した。多くの日本の学者が祖父から古美術品の真贋の見分け方を学び、60~70年代に多くの美術と歴史の本が日本で出版され、ペルシャブームが起きた。大阪の近鉄百貨店の部長と課長がペルシャ秘宝を仕入れにテヘランに来て「大阪で商売しまへんか」と誘われ、同百貨店に「アナビアン・ギャラリー」を開店し、私は両親と共に来日。週末は親の背中を見て店番をし、紀元前土器を玩具にしていた。百貨店の古美術愛好家を連れて、紀元前5世紀のアケメネス朝ペルシャの遺跡巡りもした。
そんな私のオアシスのような子供時代は1979年のイスラム革命を境に激変した。
パーレビ国王が追放されて、1年後、アナビアン家は迫害を避けるためにアメリカに逃れ、古美術店を一からやり直した。イランは石油大国からテロ大国へ一変。国民のインフラに使うべき石油の収入はテロに使われ、国民は石油不足に苦む。水も隣国に売られ、儲けはイスラム独裁政権の懐へ。南部では水道の蛇口から泥水が出る。
2500年前の古代ペルシャの方が遥かにモダンだった。水のライフラインを使って、キュロス大王は、ペルシャ庭園にも情熱を注ぎました。キュロスは庭園のことを古代ペルシャ語で、パラダイサと呼mmだ。それが英語のパラダイスの語源。なのに、今の地下水路は蛇の住処に化している。
古美術品も歴史的文化財も60万点以上が遺跡や博物館から消え、文明も霧の彼方へ。
ペルシャは、何千年と文明が栄えては滅び、栄枯盛衰を繰り返してきた。
1300年前、ササン朝ペルシャにイスラム軍が侵入した。イランの王、ヤズデギルド3世が651年にアラブの侵略者に囚われ、首を切られた。息子、ピールーズ王子は気高いペルシャ貴族と共に、建築家、陶芸家、織姫等の多くの技術者等を連れ、東方の中国へ逃れて生き残った。
唐にはペルシャ人街ができました。当時のペルシャ人は町作りの天才だったので都市の縦横に道路を走らせる碁盤の目や放射状の都市建設を唐の都が取り入れペルシャ人街が広がっていった。唐の辺境にもペルシャの文学や旋律は唐の都・長安にまで響いた。ペルシャ風の酒屋や羊羹や羊料理や衣装が持て囃された。ペルシャの葡萄酒がいくつも人気ブランドになり、酒屋でペルシャ美女の袖がひらひらと長安のそよ風に吹かれながら、お酌をしていた。
1979年にイランに再び、イスラムの勢力が侵入し、アナビアン家もパーレビ国王と同時に、祖国を失った。イラン各地から収集した出土品コレクションをニューヨーク、ロンドン、大阪に避難させた。紀元前の土器や幻のブルー陶器、和の織物に影響を与えた綿などは本来、イラン国立考古学博物館に収まるべきもの。
ササン朝時代に長安に逃れたペルシャ商人が中国の高官と奈良へ訪れ、正倉院に御物が齎されたように、二度と収集できないペルシャ秘宝を日本の文化財として保存し、1300年前のようにシルクロードの終着地の奈良に「第二の正倉院」たる「大ペルシャ美術館」を作り、再びペルシャの風を吹かすために、細々と辿ってきた。
イラン・イスラム革命の次の年に始まったイラン・イラクで戦ったイラン人が出稼ぎ労働者は、バブルの 日本にやってくるが、日本が1995年不況になり、彼らは職を失い、徐々に犯罪に手を染め、 ついには麻薬密売。彼らが警察沙汰になり、事件が 増えるにつれ、私は、アルバイトで通っていた警察の通訳の仕事が、ついに本業のように25年も続いた。祖父の時代にはイラン学を研究していた日本の考古学者と交流が活発だったのに、私の世代では、警察の交流が盛ん。職を失ってしまったイライラ戦争の被害者たちは、白いワイングラスの変わりに シルクロードを渡って白い粉を運び、入管、拘置所、刑務所、裁判所で出会った。
現在のイランはイスラム独裁政権のなか、人権侵害が酷いが、メディアでは報道されず、SNSで真実が広がっている。2500年前、イランの初代王キュロスは、世界最初の人権宣言は、楔形文字で刻まれ、その石の筒は大映博物館に展示され、レプリカが国連にある。男女平等、多宗教多い民族共存国家を唄うトーマスジェファーソンのアメリカの建国理念と同様。ペルシャ大帝国は、信仰の自由を打ち出し、他の宗教と文化に対する尊重の記録は、旧約聖書中の一書にも記録され、イランのキュロス大王が英雄として記録されている。キュロス大王は、バビロニアで捕虜になっていたユダヤ人を解放し、神殿を立て直すように促した。この宣言によって、イランで全ての人の人権と正義が保障された。しかし、現在のイラン独裁政権は、イスラエルを地図から消すために、全世界を巻き込んで戦争を起こしている。他の中東のアラブ諸国もそんなイランにはこりごり。イラン国民の大半も自国にこりごり。しかし、日本や欧米にとってもは、この現実は、あやふや。フェイクニュースばかり見ていると、現地の中東に対して、実感がなく、判断もできなくなっている。
しかし、近い未来、中東では「アブラハム合意」で、イスラエルは、アラブ諸国と共に先端技術で想像絶するような未来を作り、静かに、着々と進んでいる。イラン国民が毎年の自由を訴え、革命を起こしているので、そのうち独裁政権を倒し、イランの王子が白馬に乗って戻れば、「アブラハム和平協定合意」に加わり、サウスグローバル経済圏として中東は再び復活!破壊された文化も芸術も蘇る!
講演会を通してペルシャの現状・未来・歴史・伝統・文化も伝えたが、お腹を通したペルシャがよく伝わる。ペルシャ料理を美術品で飾り、料理本を出版した。2冊目出版製作中。
アナビアン・コレクションの文化遺産で、ペルシャ文明の歴史が現代へ、復活蘇らせるのが最後のミッション。
テロ支援国家、核疑惑、戦争― そんな現実は、い・ら・ん。