アナビアン親子三代記 日本で50年の歩み

優雅な時代のイランで水煙草を嗜むラヒム・アナビアン
世界中から訪れた美術愛好家をもてなした応接間にて

ラヒム・アナビアンはテヘランで半世紀かけて、何千点ものペルシャ土器・陶器・ガラス・織物を蒐集し、テヘランの考古学博物館と日本の主要な博物館・美術館に収め、文化交流の基盤を築いた。

イラン王朝時代のアナビアンファミリー 
一代目 左から2番目ラヒム・アナビアン
二代目 左から4番目 娘のプーリー・アナビアンと いちばん左 息子のジョージ・アナビアン
ど真ん中 孫のダリア・アナビアン

イラン王国の開けた時代、昭和の日本と共に近代化が進み、経済成長が進み、パーレビ国王がイランのの発掘事業に力を入れ、その自由のなかで世界中で多くの考古学者によるペルシャ文明の研究が出版物にされた。

テヘランの目貫通り「ANAVIAN 250」で来客を待つラヒム・アナビアン

パーレビ王朝時代、テヘランの古美術商が集まる商店街は語学堪能のユダヤ商人が牛耳っていた。アメリカやヨーロッパから考古学者がラヒムに古美術の由来について聞きに立ち寄る人気スポットになった。

「ANAVIAN 250」は、学者の遊園地でもあり、子供たちも親の背中を見ながら、仕事場が遊び場だった。

紀元前からアクセサリーに使われていた瑪瑙やラピス等で出来たビーズを蒐集し、新聞でイランのビーズ王と紹介された。

ペルシャ土器が積まれた老舗の勝手口の前にポーズするダリア

ラヒム・アナビアンが経営していた老舗では7千年前の素焼土器からシルクロードの交易で流行した幻の青釉陶器までそろい、学者の遊園地のようだった。老舗の裏側には、ペルシャ紀元前の無傷の土器がいつも無造作に置かれていた。その前でポーズを取っているのはラヒム・アナビアンの孫、ダリア・アナビアン。3代目としてペルシャ文化財の壮大な歴史を伝承し、保存に努める。

(真中)ラヒム・アナビアン(右側)。そして、妻、マルカ・アナビアンと(左側)日本の新進気鋭のオリエント学者。

テヘランの銀座と言われるフェルドウスィー通り「ANAVIAN 250 ]の古美術店があり、そこは欧米と日本の考古学者や作家のロマンを求めて立ち寄り、ペルシャの秘宝のことについて見識を深めた。

テヘランの自宅の応接間は、日本からの来客でいつも賑わっていた

有名な作家、井上靖、考古学者 江上波夫を初めとする日本の文化人の多くは、イラン訪問に際しては、ほとんどがラヒム・アナビアンに会い、多くの知識を得た。同時にラヒム・アナビアンのコレクションから多くのものを買いもとめている。

日本を訪問するラヒム・アナビアンは、テヘラン国立博物館の館長と正倉院箔瑠璃碗研究の第一人者と古美術談義を楽しんだ。

ラヒム・アナビアンは、日本にペルシャ文化を紹介した先駆者として、そのコレクションの一部は東京・国立博物館、出光美術館、中近東文化センター、大阪の民族学博物館、岡山・オリエント美術館等、日本各地の美術館や博物館が購入し、その収蔵展示品となっている。

アナビアンファミリー来日直後

1974年、テヘランの老舗から大阪へ出店 アナビアン・ギャラリー

テヘランの「ANAVIAN 250」は、大阪に支店ができた。大阪の近鉄百貨店の部長がテヘランに訪れ、大阪上六の近鉄百貨店で関西初のペルシャ古美術ギャラリーの開店を誘った。前に立っているのは、(写真の真中)2代目のプーリー・アナビアン、(右側)主人のニッサン・アナビアン(左側)3代目ダリア・アナビアン。

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「アナビアン・ギャラリー」店舗展開

イランきってのペルシャ美術の老舗として知られており、コレクションは質・量ともにイラン国立美術館をしのぐほど…」と紹介された。当時、多くの古美術収集家が百貨店に集まった。

日本の考古学者がイラン北部ギーラーン地方を発掘調査に訪れ、正倉院の宝物である白瑠璃碗と同じようなワイングラスを発掘し、その感動を日本に持ち帰り、ササン朝ペルシャと飛鳥・奈良時代の日本との交流が1300年振りに復活した。

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新聞では「博物館級の秘宝が陳列されている」と評判になった。

ペルシャ美術工芸品、「アナビアン・ギャラリー」は、テヘラン、テルアビブ、ニューヨーク、テルア・ビブ、大阪上本町近鉄百貨店、岐阜近鉄百貨店、銀座松屋百貨店、神戸そごう百貨店、都ホテル大阪までチェーン店が広がった。

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近鉄百貨店岐阜支店開催 1977年

大阪上本町の近鉄百貨店「アナビアン・ギャラリー」の2号店として、岐阜支店を開設した。ペルシャ陶器の失われた釉の最高技術を再現させた人間国宝、加藤卓夫氏がテープカットを行った。シルクロードの黄金時代に陶器の技術が最高峰に達した時代を取り戻すように美しい三彩や瑠璃色の釉薬で名作を世に送り続けた。アナビアン・コレクションのペルシャブルーの陶器からインスピレーションを受けた。ペルシャ美術に関心が高まった1970年代、大阪の近鉄百貨店上六店でペルシャ古美術を紹介する「アナビアン・ギャラリー」が開設され、新聞では「博物館級の秘宝が陳列されている」と評判になった。

シルクロードの黄金時代に陶器の技術が最高峰に達した時代を取り戻すように美しい三彩や瑠璃色の釉薬で名作を世に送り続けた。

ペルシャ美術工芸品、「アナビアン・ギャラリー」は、テヘラン、テルアビブ、ニューヨーク、テルア・ビブ、大阪上本町近鉄百貨店、岐阜近鉄百貨店、銀座松屋百貨店、神戸そごう百貨店、都ホテル大阪までチェーン店が広がった。

アナビアン ギャラリー  ニューヨークでの展開

ニューヨーク、マンハッタンのアナビアン・ギャラリー

ラヒム・アナビアンは晩年、マンハッタンでテヘランの老舗を再建し、毎日足を運びつづけた。1979年のイランイスラム革命で遺跡発掘が禁じられ、西アジア考古学団は大規模な発掘プロジェクトに出かけていくことがなくなり、文化交流の糸が次第に細くなっていった。ラヒム・アナビアンは、それまでに収集したペルシャ秘宝コレクションを守るために命がけでアメリカへ避難させた。

ニューヨークにてラヒム・アナビアンの晩年 2000年

テヘランで建設が進められていたペルシャ錦美術館も政変でプロジェクトが頓挫し、80歳を目前に老舗古美術店を自由の国ニューヨークへ移転させた。

近くのメトロポリタンミュージアム並みの絨毯がずらっと並んでいる

今や織れなくなったペルシャのガジャール期(明治期)とパーレビ期(昭和期)の2000点に及ぶビンテージのペルシャ絨毯や多くの美術館級の考古学的宝物も管理・鑑定・販売されている。そして、一枚一枚の絨毯に物語が織り込まれている

絨毯の専門家、ラヒム・アナビアンの次男 ダニエル・アナビアン

ビンテージ絨毯は、アメリカで大人気。絨毯の文様やシンボルの云われから、ストーリーを語れる生き証人

ペルシャ錦の専門家 ジョージ・アナビアン

不景変動の波が激しいニューヨークで、絨毯や古美術店が閉店するなか、ペルシャ文化を伝え続けている。

ANAVIAN ANTIQUES 4 East 30th St. New York, NY 10016 212-888-1111