テヘランの目抜き通りから始まる古美術店の100年
昭和の日本のガイドブックに紹介
”テヘランの銀座街” イギリス大使館の向かい(Ferdowsi Ave 250)アナビアンの古美術店があり、紀元前の土器から近世のカスピ海ブルー釉の陶器まで揃え、ペルシャ・ブームと紹介。
イランは王政の黄金時代
パーレビ国王がイランの発掘事業に力を入れ、アメリカやヨーロッパから考古学者が出土品の由来について「アナビアン250」に立ち寄る人気スポットになった。
アナビアン三代一族
テヘランの骨董市場を牛耳っていた多くのペルシャ系ユダヤ人の中の一家族。出土品について知識を求めに訪問した日本の考古学者とパーレビ国王の美術顧問ラヒム・アナビアンの交流から始まった。
有名な陶芸家・加藤卓夫博士や考古学者・江上波夫博士を初めとする日本の文化人が、テヘラン本店を訪問。アナビアンのコレクションを買いもとめ、日本各地の博物館で陳列展覧されるようになった。
ラヒム・アナビアンは、古代ネックレスにも情熱を注いだ。パルチア時代(2000年前)のビーズの首飾りを収集し「ビーズの王様」とテヘラン新聞で掲載。
来日前の三代目ダリア・アナビアン
上:優雅に水煙草をくわえる店主ラヒムアナビアン
下:ペルシャ土器が積まれた老舗の勝手口からお出かけ前のダリア
二代目プーリーとニッサン 古美術ギャラリー関西初開設
テヘランの目抜き通りの老舗「フェルドウスィー通り・アナビアン 250」へ、ペルシャ古美術品を求めてきた大阪の近鉄百貨店部長の計らいで上六の近鉄百貨店で関西初のペルシャ古美術ギャラリーを開いた。「アナビアン・ギャラリー」は、シルクロード最終点奈良からの美術愛好家で賑わっていた。
イランきってのペルシャ美術の老舗として知られ、新聞では、「コレクションは質・量ともにイラン国立美術館をしのぐほど…」と紹介された。当時、多くの収集家が百貨店に集まった。
神戸新聞1973年12月15日
1974年、テヘランの老舗から大阪へ出店 近鉄百貨店上六支店8F「アナビアン・ギャラリー」
船が着港したシルクロード終着点、難波の津と繋がる大阪天王寺のペルシャ古美術ギャラリーは、歴史学者の関心の的。前に立っているのは、(写真の真中)2代目のプーリー・アナビアン、(右側)主人のニッサン・アナビアン(左側)3代目ダリア・アナビアン
正倉院の源流を発見
「日本人は農耕民族」説に対して騎馬民族という新説を提唱し、勲章を受賞した江上波夫博士は、「アナビアン250」の店頭で、全く知られていなかった紀元前の動物型土器の遺宝の数々に出会った。西アジア考古学者は正倉院の研究や中国の物件からの推測でしかなかった紀元前の動物型土器が、テヘランの骨董市にも出回っているのを見て、ペルシャ由来の推測が裏付けられ、考古学者によって多くのペルシャ研究書が出版物にされるようになった。イランでも騎馬・農耕民族の古代文明の発展を紀元前の動物型土器が立証している。
雄牛と牡鹿形土器は、イラン国立博物館にある動物型土器と一対
円形切子白瑠璃碗のブームが始まる
正倉院御物である1300年のササン朝ペルシャの葡萄酒を入れる円形切子白瑠璃碗は、中国から伝わったのか、西域のペルシャ由来だったのか。東大教授の深井晋司博士は、現地イランに赴き、正倉院の酷似を初めて目の当たりにし、古代ペルシャガラス研究の第一人者となった。天平時代の正倉院で保管された文化遺産は、イランの発掘調査で類似品がごろごろ出土し、隅々まで研究し正倉院の象徴となった。イラン各地で正倉院御物とそっくりの円形切子白瑠璃碗や鶏頭水差しなどが次々と発掘され、考古学調査団は驚きの連続。オリエントブームが最高潮に達した。
古代のワイングラス
小学校6年生の教科書に掲載されているワインのカットグラス。いちばん遠くから旅をしてきた正倉院の白瑠璃碗。中に入れたワインが一番綺麗に見えるようなブリリアント・ダイヤのカットで、ワインを注ぐとルビーの輝き。写真上のアナビアン・コレクションの白瑠璃碗はイラン北部ギラーンから出土された。
カスピ海の色 ペルシャブルー
9世紀~12世紀は青釉陶器の最盛期に至る。砂漠の透き通った青空の色をコバルトの釉薬で実現。
ペルシャ緑釉から織部焼へ
1世紀ごろのペルシャのパルチア時代に初めて緑釉陶器が作られた。低い温度で焼かれたアルカリ釉や鉛釉は鮮やかな緑に仕上がる。緑釉の技術は、中国漢時代に伝えられ、高温で焼かれたため、緑が深くなった。16世紀にトルコ商人がペルシャの緑釉陶器をベトナムに運び、日本に伝えられ、さらに渋い織部焼の緑に変化した。
ペルシャ天然コバルト釉と中国磁器が産んだブルー&ホワイト
白地に酸化コバルトブルーで絵柄を描く12世紀ペルシャ技法が、元の時代(1260~1368)に中国の陶芸家に取り入れられ、ブルー&ホワイトの染付磁器が、明時代(1368~1644)に完成された。中国のブルー&ホワイト磁器はヨーロッパが爆発的人気を得、輸出されるようになった。しかし、16世紀になると、中国は内乱に陥り、窯が破壊され、輸出が止まった。16世紀、世界の貿易を牛耳っていたオランダ東インド会社は、ビジネスチャンスを狙い、イラン王国の陶芸家に陶器を磁器に似せたイミテーションのブルー&ホワイトを作らせ、ヨーロッパからの注文に応じた。
ブルー&ドホワイトを作る産地、ニシャプールやイスファハーンやマシャドでは中国磁器のスタイルをそのまま摸倣した陶器を生産していたが、ケルマン産地では、中国磁器に丸ごと似せるのではなく、人物、動物、植物紋様をペルシャ風の軽やかな筆さばきで描く独自のスタイルを産んだ。このようにペルシャと中国の陶器技法は、相互に影響をし合い、時代の流行を作っていった。
日本の主要博物館にアナビアン・コレクションのペルシャ美術品を搬入
アナビアン家は、日本にペルシャ文化を紹介した先駆者として、ペルシャ陶器コレクションの一部は東京・国立博物館、出光美術館、中近東文化センター、大阪の民族学博物館、岡山市立オリエント美術館等、日本各地の美術館や博物館に購入され、収蔵展示品となっている。新大阪新聞 1975年7月21日
三彩陶器で繋がるペルシャと日本
大阪上本町の近鉄百貨店「アナビアン・ギャラリー」の2号店として、岐阜支店を開設した。ペルシャ陶器の失われた釉の最高技術を再現させた加藤卓夫氏がテープカットを行った。
正倉院三彩、ペルシャ三彩、唐三彩、宋三彩などの焼き物は兄弟姉妹のように海のルートで繋がっている。陶芸家の加藤卓男氏は、ペルシャ陶器の失われた三彩陶器を現代に再現された人間国宝。シルクロードの黄金時代に陶器の技術が最高峰に達した時代を取り戻すよう三彩や瑠璃色の釉薬で名作を世に送り続けた。それを縁に、近鉄百貨店岐阜店「アナビアン・ギャラリー」オープンのテープカットを行った。 岐阜新聞 1978年10月28日
ペルシャ三彩再現
加藤卓男氏は、ペルシャ陶器の最高技術を再現し、人間国宝になる。
アナビアン・コレクションの古代三彩と現代の三彩を合わせて展示会が行われ、三笠宮殿下ご来賓。
ペルシャ錦の展示会
世界三大コレクションのひとつのアナビアン・ペルシャ錦は16世紀サファビー朝の刺繍であり、現在はその精密さは再現できない。色褪せない美しさは、ヨーロッパで流行したファッションとインテリアーの根源、正倉院に伝わった模様の原点である。アナビアン・コレクションは、度々、百貨店の催しで展示会が開かれた。
京都祇園祭「長刀鉾」前掛けを納品
ペルシャ絨毯の紋様は日本の芸術の一部にも受け継がれ、都大路を彩る京都祇園祭の2台の鉾の飾り付けにペルシャ絨毯が使われた。昭和57年に「長刀鉾」(なぎなた)と「放下鉾」(ほうかぼこ)の鉾飾りの取替え時期に、アナビアン・コレクションからペルシャ絨毯が納品し、現代も受け継がれている。
江上波夫文化勲章授賞記念イベントで披露する絨毯
阿倍野近鉄百貨店のアート館で行われた江上波夫文化勲章授賞記念イベントでは、彼の考古学上の発掘品、人間国宝加藤卓夫氏の陶磁器、そしてアナビアン・コレクションが一堂に展示された。
三笠宮殿下もご来場され、ペルシャ歴代王がモチーフの巨大な絨毯に見入っておられる。